講師を目指したきっかけ
2023年に兵庫県川西市の広報誌「生きる」で
コミュニケーションについての文章を連載していました。
「また読みたい!」とリクエストを頂いたので、
今月から1本ずつこちらに載せますね。
私が講師を目指したきっかけは、
一人娘と会話ができなくなったことでした。
彼女は小学校6年生の時不登校になり、
自分の部屋に閉じこもってしまったのです。
私は娘の行く末が心配で心配で…。
当初娘をなだめすかして学校へ行かせようと躍起でした。
それでも娘は頑として動きませんし、
親の私から見てもつらそうなのです。
そんな姿を見ているうちに、
私の考えも
「学校なんかどうでもいい。
もう一度笑顔で話ができるなら、他に何もいらない」
と思うまでに変わっていきました。
そのためには、親である私が歩み寄る必要があります。
娘を理解したい一心で、「話の聴けるお母さん」になろうと
コミュニケーションの勉強を始めたのが、講師への第一歩だったのです。
よくよく話を聴いてみると、
私と娘の感受性は、
大きく違っていたんです。
「親子だから」
「いつも一緒に居るから」
とわかっている気になっていたのですが、
本当の気持ちに目が届いていなかったことを痛感させられました。
後にわかる事なのですが、
娘はHSC(Highly Sensitive Child)ひといちばい敏感な子ども
だったのです。
超が付くほど鈍感な私と、
敏感で生きづらかった娘が、
どう折り合いをつけて、仲良し親子になれたかは次回お伝えしますね。

