子どもが傷ついてつらい時、しつけは後回しでいい理由

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HSCは、繊細であるがゆえに、
心が傷つきやすいです。

多くの子どもなら、
なんなく乗り越えていく「小さな悪意」に
いちいち反応してしまって、
大きなダメージを負うことが多いようです。


親は、その事に気付くと、
なるべく子どもが傷つかないようにと
親心から「無難な人生の渡り方」
教えようとしてしまいがちですよね。

結果「〇〇しない方が良い」とか
「もっと〇〇すべき」などと
アドバイスのつもりで干渉
することになってしまうのです。

これでは、子どもは
「ありのままの自分ではダメだ。」
というメッセージを受け取り、
自分の人生を自由に生きることが
難しくなって
いきます。

親によって敷かれたレールからはみ出ないように、
細心の注意を払いながら毎日を過ごして、
自分の気持ちを押し殺し続けるなんて、
楽しいわけがないですよね。

これが繰り返されると、
生きること自身に楽しみを見出せなくなっても
無理はないと思いませんか。

今、生きる理由を見つけられない人が増えています

若いというだけで、
「キラキラの夢を持って毎日を生きている」
と思い込んでいる大人のなんと多い事。

しかし、人生が生きるに値するものだと思えなければ
「生きる理由」「将来の目標」など
探すことさえ難しいのが現状です。

「生きるって楽しいな!」と思えなければ、
「自己肯定感」など持つ余裕がないのですから…。



子育てで一番大切なことは、
「自分はこれでいいんだ」
と子ども自身が自分を肯定できることです。


そのことに、子どもが小さい頃に気付いた親は
ラッキーですね。
心が柔軟なうちなら
「喜び」も吸収しやすいですから、
すぐに人生の楽しみを見出せるでしょう。


もうすでに、子どもの心が
いっぱい傷ついてしまっていたら、
手遅れでしょうか?

いいえ、大丈夫!
今から、つらかった以上の楽しい経験を
積み重ねていけばいいだけです。


「楽しさ」が「つらさ」を上回って
生きることが楽しくてワクワクし出したら、
やっと社会のルールを教える
スタートラインに立ったと考えましょう。


親は「正しさ」を教えることを
急ぐ必要はないんですよ。

充分に時間をかけて
「楽しい」を体験してからが、
本番
なのですから。

教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを体に覚えこませてやることなのである。

哲学者:永井均 「これがニーチェだ」より




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