子どもに、「楽しい思い出が無い」と言われたら…

「私の子育ては、間違っていたのでしょうか?」

子どもから
「小さい頃の楽しい思い出なんか、一つも無い!」
と言われて、自分を責めてしまうママがいらっしゃいます。

あれだけ一緒にお出かけしたのに…
笑顔で楽しんでいるように見えたのに…

私も娘から同じように言われて
大変ショックを受けました。

私が良かれと思ってしてきたことは、
全て独りよがりで、
反対に娘を苦しめるだけの事だったのだろうか?

当時、娘の苦しさも理解できるようになってきていましたので
その原因を私が作り出していたと考えることは
非常につらいものでした。

確かに、先々を心配して
習い事をさせ、いろんな行事に参加させていました。

それでも、本人の気持ちをきいてからスタートしましたし
その年齢の子どもが喜びそうな行事を選んだつもりです。

決して押付にはならないようにと
私なりに配慮していたつもりだったのですが…。

一緒に過ごしたあの時間は、無駄だったのでしょうか?
あの時の娘の笑顔は、何だったのでしょう?

調べてみると、興味深い情報がありました。
「人は生き延びるために、危機を忘れない」

私たちの脳はすべての情報を記憶しているわけではありません。

海馬が必要と判断した情報だけが、脳の中の大脳皮質と呼ばれる場所に送られ、長期間保存されます。

では、海馬は何を基準に判断を下しているのでしょうか?

なんと、それは「生きていくために不可欠かどうか」なんですね。

人間も動物、生き残ることが最も重要なのは容易に理解できるでしょう。

ですから、食べ物や危険に関係する情報が、何よりも優先されます。

東京大学薬学部  池谷 裕二教授

敏感力を持つ子は、
いろんな情報を常に
インプットしながら生活しています。
だから、疲れやすくなりがちですね。

そして特に、
「経験した危険を覚えておいて
次には回避しないといけない!」
無意識に考えるようです。

人の記憶量に限りがあるなら、
情報にも優先順位がつきます。
生き抜くために、
危険情報を第一にインプットするわけです。

その危険情報の量が非常に多いと
どうなるでしょう?

楽しい、面白い等の情報は後回しにされますね。
記憶としてすぐに出てくるところには
「これが危ない!」
「これには気を付けろ!」
危険や不快だった情報が
満たされていくらしいのです。

大人になって娘は
「当時の私も、それなりに楽しかったんだろうね」
「ただ、不安が大きすぎて、
楽しかった記憶が飲み込まれているんだと思う」

「それくらい、小さな私にとって
外出や、新しい体験は
不安な要素のかたまりだったんだと思う」と。

少しでも、当時の娘の不安を減らすことが出来ていたなら
楽しい思い出がもっと増えたのかもしれません。
また、敏感力を持たない子なら、
同じ対応でも楽しい記憶として
何の問題も無かったのかもしれません。

一概に、
「誰が悪い」
「何が悪い」
という問題ではありませんね。

人は一人ひとり違うのですら
お互いに自分の希望を伝え合って
お互いに相手を尊重し合って
お互い納得できる結論を見つけ出す
そんな作業が必要だと思います。

相手が、子どもでも、大人でも同じですね。
『お互いを大切にするコミュニケーション』
が大切だと思う一番の理由がここにあります。

しっかりお互いを理解することで
新しい未来を作っていきましょう。

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