『頑張れ!』という言葉の難しさ

連日のオリンピック放送を見ていると、
「頑張れ!」という言葉が聞こえてきます。

人を応援するときに、
自然と口から出てきますね。

この声援を受けて、
力が湧いてくるアスリートも
多いことでしょう。

しかし、この言葉を
「辛い」と感じる時があるのも事実です。


極限まで努力して、
もうこれ以上は無理!

と感じている時に
「頑張れ」と言われると、

「私はもう限界まで頑張っているのに、
まだこれ以上頑張らないといけないの?」

と自分の存在までも否定されていると
感じてしまうかもしれません。


なぜ私たちは、
頑張った結果疲弊しきっている人にまで、
「もっと頑張れ」
叱咤激励してしまうのでしょうか?


私は「想像力の欠如」
大きな原因の一つだと思うのです。


実は「頑張れ」という言葉には
悲しい思い出があります。

もう25年ほど前ですが、
父を癌で亡くしています。

会社の集団検診で胸の影が見つかってから、
半年でした。

本人の意思でホスピスに入院し、
お正月に一時帰宅するために、
療法士の線先生からの指導を受けていた時です。

自宅はベッドではなく布団での生活だったので、
自力で起き上がる訓練を重ねていました。

何度も失敗を重ねた後、
やっとコツをつかみ、
一人で起き上がれた父に

「できた~!
今の感覚を忘れないうちに、
もう一回頑張っておこうよ!」


嬉しくなった私は、
何気なくそう言ったのです。

いつも気丈にふるまっていた父でしたが、その時は

「そう簡単に言うけどな、
一回起き上がるだけで精一杯なんやで…」


と悲しそうな顔で言うのです。

当時の父は痩せてはいましたが、
まだまだ元気だと信じていた私は、
彼の辛さなど、
みじんも理解できていなかったのです。

自分が日常当たり前にできている行為でも
「今の父なら辛いかも」
と考えてみることができたなら

あんな悲しい顔をさせずに済んだかもしれないのに…
と今でも思います。

学校で辛い思いをしても
頑張って登校しているお子さんはたくさんいます。

私たち大人は、そんな彼らに、
なんと声をかけているのでしょうか?

応援のつもりで、
相手を追い詰めてはいないでしょうか?

相手から笑顔が返って来る「頑張れ!」
ならステキですが、
相手の顔が曇るようなら、
それはNGワードです。

それよりも「よく頑張ったね!」
今までの努力を認めてあげましょう

子どもたちは自ら成長する力を持っています。
ありのままの自分が受け入れられ元気が回復したなら、
必ず自分のペースで動き始めます
そんな時こそ、「頑張れ!」と心で唱え、
後姿を応援してあげてくださいね。

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