心を縛り付ける思い込み

先日新聞で

「40歳にして初めて足に合った靴に巡り合った!」

という記事を読みました。

 

―――サイズの合った靴を履いてみて、

衝撃を受けた。

靴ってこんなに足に合うものなん?

歩くってこんなに疲れへんもんなん?

今までの40年はなんやったのか

と思うほどのできごとだった。―――

 

その方は、子ども時代から

「歩くことは、痛くて疲れるもの。

みんなそれを我慢しているものだ。」

と信じ疑いすらしなかったそうです。

 

 

これを読んで

「あぁ、娘と同じ!」

そう思ったのです。

 

娘は小さい頃から敏感力のおかげで

辛い事がたくさんありました。

でも、その辛さは、誰もが持っていて

それに耐え、それを乗り越えて

みんなは頑張っている。

でも、私にはそれができない。

そう考えて、悲しかったし、

どうすればいいのか途方に暮れた

と言います。

 

 

それに追い打ちをかけたのが

私を含む周囲の大人で、

「もうその年齢なら、これくらいは当たり前」

と勝手な基準を押し付けるんですね。

 

それはまるで、

合わない靴のせいで足が痛いのに

もう5キロくらい走れるよね

と言われるのと同じです。

 

 

「無理だと言えばいいのに…」

そう思うかもしれませんが、

そう簡単には口にできないんです。

 

別の方法があるなんて

思いもつかないし

誰もが我慢してるなら

自分も我慢すべきじゃないか?

そんな簡単なことができない自分が悪い

そう思い詰めてしまうこともあります。

 

まじめで優しい子ほど、

自分で何とかしようとして

できない自分を責めてしまいます

 

 

そんな時に、

「あなたが悪いわけではないのよ!」

と言ってもらえたら、どうでしょう?

 

それが言えるのは、

敏感力を知ったあなただけです。

 

「辛くて、できないことがあるのは、

あなたの努力不足や、

我慢が足りないからじゃないのよ!

一緒に、うまくいく方法を考えよう。」

 

そう言ってもらえたら

どれだけ心が軽くなることか…。

 

私が当時の娘に言えなかったこの言葉

どうぞあなたからお子さんに伝えてあげてください。

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